2019年のラマヌジャン賞の受賞者にファム・ホアン・ヒエップ(Phạm Hoàng Hiệp)というベトナムの数学者がいる。以下、この人の業績に触れる話ではなく、この人のお名前の表現を巡って考えたベトナムの人名に関する一種の戯言です。
昨晩、wikipediaに氏の名前を表現しようとした際、ベトナムの人名に関して、ときに家族名(family name)なのか、個人名(下のなまえ、given name)なのか判断に迷う要素がある点に気が付いたので忘備がてら、ちょっくら文章をしたためようと思う。個人的な理解ながら、ひょっとしたらいつか誰かの何かに役にたつも知れないというほんのり淡い期待のもと。
はじめに、家族名がよく分からなかった。少し調べてみると、氏のラマヌジャン賞の受賞を知らせるベトナムの代表的日刊全国紙ニャンザンのニュース記事がみつかった。
Giáo sư trẻ nhất Việt Nam giành giải thưởng toán học uy tín quốc tế - Báo Nhân Dân
この記事の次の2点が大事である。
●冒頭、上半身の画像の脇に英文の形で、"Dr. Hoàng Hiệp Phạm"という文字列がみられること。
なおかつ
●越語文の本文冒頭に、"GS Phạm Hoàng Hiệp"という文字列がみつかること。ここで"GS"は、Giáo sưの略で越語文で教授(あるいは教師)を意味し、人名に前置する敬称だとちょっと調べれば推測できる。
広く知られている通り、英文などの欧文の地の文での人名の表現のルールは、個人名+家族名の順が原則である。一方で、ベトナムや日本を含む漢字文化圏の人名の表現のルールは、家族名+個人名の順が原則である。
以上より、3つのまとまり(要素)からなるこの方の場合、英文で末尾にあり、越語文で冒頭にあるPhạm(ファム)は、少なくとも家族名に属する要素だと判断できる。ちなみにPhạmは、漢字の范にあたり、范という姓もリンク先の通り存在するので、ここで素直に考えると、Phạmが家族名になると思うのだ。そうした場合に、越語文でPhạm Hoàng Hiệpと末尾にくるHiệp(ヒエップあるいはヒェップ)は、個人名に属する要素だろうと先ずは素直に考える。ちなみにHiệpは、合か協の字に対応するようだ。
さて、問題は、Hoàngである。漢字の黄に対応するようである。
ここで、ベトナムの人名に関するwikipedia日本語版の記述や参照可能なサイトの情報をみると、典型的に3つの要素からなるベトナムの人名の場合、2番目に配列される要素は、間の名(Tên đệm)と呼ばれることが多く、そんなに種類はなく、Hoàngは、これにあてはまらないように思われる。
一方で、欧文で、いわゆるミドルネームは、家族名か個人名かの二択に制限された場面で、個人名扱いされる場合がある。これは、欧文の参考文献一覧の書式を見慣れていれば気づくことだが、日本のパスポートといった公文書で中間名を下のなまえといっしょくたに扱うのもこのルールの延長にあると思う(参照)。この線でいくと、冒頭のニュース記事の英文にあらわれたHoàng Hiệp Phạmという文字列が、Phạmが家族名で、残りのHoàng Hiệpは一括して個人名扱いとしていると理解される。この表現は、氏のラマヌジャン賞の発表リリースにもあらわれている。
つまるところ、越語文でPhạm Hoàng Hiệpと表現し、日本語文でファム・ホアン・ヒエップで表現する限り問題ないのだが、上記の英語を代表とする印欧語族系の欧文での、Hoàng Hiệp Phạmという表現は、Hoàngの認識次第だが、何だか奇妙な表現となっちゃってるんじゃないかと疑っているのです(※1.)。
やはりwikipediaなど先のサイトを読んで考え、さらに調べるつけ、中国式の複姓、あるいは2つの要素からなる家族名に、Phạm Hoàng(范黄?)もあてはまる可能性が高そうだ。例えば、ベトナムの植物学者に、同姓とおぼしきPhạm Hoàng Hộという方がいて、この人物をWikispeciesで紹介する英文の記事名は、Pham-Hoàng Hôと、PhạmとHoàngの間に結合の用法のハイフン"-"が入っている。同記事中にあげられた参考文献の人名の書式にもそれはあらわれ、当人がPhạmとHoàngを一連一括して使用していたことのあらわれと思われる。残念ながらこの方の人名の漢文での表現は見つけられなかった(※2.)。また、この人名中のハイフンの結合用例は、ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)といったフランスの個人名(prénom)の方にあらわれる複合名のアナロジーになっていると思う(参照)。
中国式の複姓の2つの要素をハイフンで繋ぐ例に、複姓の代表例、欧陽から欧陽菲菲の姪のチェリスト、欧陽娜娜(Nana Ou-Yang)や、香港の俳優、ボビー・アウヨン(Bobby Au-Yeung)が見つかる。
以上から、Phạm Hoàngが中国式複姓の一種だと考えて良さそうと思うのだがどうだろうか。小生にベトナム人の友達でもいれば一発解決かと思うが残念ながらそんな都合の良い友達などいない。
Phạm Hoàngが中国式複姓の一種だとすると、冒頭のニャザンのニュース記事でも、ラマヌジャン賞の発表リリースでも使われた英文中のHoàng Hiệp Phạmは、本来一連の姓の2要素をHiệpが分断していることなり、これは麗しくないと思う。Hiệp Phạm Hoàngあるいは、Hiệp Phạm-Hoàngという表現がより相応しいということになるまいか。
想うに、ファム・ホアン・ヒエップ(Phạm Hoàng Hiệp)あるいは彼を取り巻く人々は、Hoàng Hiệp Phạmという表現を妥協的に受け入れているのではないのだろうか。ひょっとしたら、筆頭著者となった論文などでもそうしているのかも知れない。複雑な文化的背景を等閑視して対欧米人用に説明が楽で伝わりやすい表現を消極的、妥協的、慣習的に受け入れ、文化を蔑ろされてもなお、それがニャザンの記事を通じてベトナムの読者の目に触れ、再生産されているベトナム人のナショナリズム的には苦々しい、そんな状況ではないんだろうか。単純に無頓着なだけかも知れませんが。なーんて勝手に思慮を巡らすのはやっぱり考え過ぎの一種の病気みたなものでしょうか。
最後に、Youtubeに転がっていたファム・ホアン・ヒエップのラマヌジャン賞の受賞式の動画でも貼っておきます。紹介側は、終始Hoàng Hiệp Phạmの表現ですが、58分位から始まる本人が用意したと思われるパワポ系資料は、冒頭、Phạm Hoàng Hiệpと記名されていることが確認できる。
ところで、小生は、ベトナム語ができる訳ではありません。ただ、言語や固有名詞学に多少の興味があるだけです。手元でネットをポチポチしてダラダラ考えたことです。本気で文献にあったり、シャカリキに調べたことではないので、思い違いしている可能性も十分ありますのでその辺り、ご容赦を。どっかにこの答をビシッと教えて頂ける方はいないかなぁ。
最後まで愚考にお付き合い頂きありがとうございました。気分転換に、手元のベトナム旅行時の写真でも貼っておきます。
Hẹn gặp lại.
2017年夏。ハノイの夜。本文とは無関係です。 |
※1. そもそも、Hoàngの部分が他の典型的な間の名(Tên đệm)だったとしても、欧文での順序はどうなるか疑問ではあるが→wikipediaベトナム語版のベトナムの人名の記事を自動翻訳でよむとその辺りの事情を書いている気配がする。Google翻訳優秀だなおい。
※2. ちなみにisniやWorldCat Identitiesなどの国際的な目録サイトにはこの方のお名前の他の表現型も収録されている。
●本文中のリンク以外で参考にしたサイト
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