2022年1月5日水曜日

口笛言語、ベルベル語にもあるってよ。

口笛言語の動画を色々漁っている内に、モロッコの主要なベルベル諸語の一つでタマジクト語(※1)の口笛言語"Amazighe whistled language"と思われる動画を見つけたので簡単に紹介しておきます。他に日本語で紹介されている様子もないので。

Gerard Pucheu(ジェラール・ピュシュー)という方のsibilinguaeというYoutubeチャンネルにあがってました。

この動画中で禿頭白髪のおじさんがジェラール・ピュシュー氏と思われます。フランス語で質問、会話しています。仏語も使える現地人がタマジクト語に通訳、補足しているようです。因みに当方、仏語を解しません(※2)。

頭巾のおじさんが、質問をうけて放牧する時に仲間と(?)使う地元の口笛言語を吹いてくれています(1:30くらいから)。動画下の説明書き等によると2013年にモロッコ中部、ハイアトラス山地のアグダル(Agoudal)という町で撮影されたとあります。wikipediaの英・仏語版も援用するとモロッコのベルベル族の主要な4つの部族連合の一つ"Ayt Yafelman"のさらに内部の支族"Ayt Ḥdiddu"に属する方だと思います。

同チャンネルのおじさんたちが屋外で机を囲んでいる動画も、アクダルの農協の寄り合い?みたいなところで撮影されたもののようです。途中からアラビア語モロッコ方言も交えて話していると思います。たぶん。

同じく車中から子供を撮影している動画は、アグダルから近いタスラフ・ナイット・アブディ(Tasraft n'Aït Abdi)とかいう村での一場面のようですね。


口笛言語でも有名どころなら動画も多く、あるいはそれなりの数が見つかります。有名どころとは、つまり、カナリア諸島ゴメラ島の"シルボ"(西語ベース)、ギリシアのエヴィア島アンティア村の"スフィリア"(希語ベース)、トルコのクシュコイ村の"クシュディリ"(鳥言葉。トルコ語の方言?ベース)、メキシコのチナンテック語の口笛言語、フランスのピレネー山中のアス村(※3)の口笛言語ガスコーニュ語ベース)になります。それらの動画で頻繁にみられる指を口に咥える吹き方は、今回のタマジクト語の口笛言語の動画ではみられない事に気づきました。口をすぼめる方法だけで吹いて表現する事が特徴なのかもしれません。屋外で遠方の人に聞こえるように強く吹く場面が撮影されていないだけかも知れませんがどうでしょう。

直線で約250キロ離れている場所ですが、アトラス山脈のトゥブカル山中で牧人が指を口に咥えて、動物相手に口笛言語ではない口笛を吹いている場面にたまたま出くわした事があるので別にこの方法を使う習慣がモロッコにないとかではないです。留意すべきことでしょうか、どうでしょうか。その際の動画を下に貼っておきます。


モロッコの沖合にカナリア諸島、ゴメラ島があります。ここの口笛言語も昔は、スペイン人に先住したベルベル系のグアンチェ族がベルベル諸語をベースに使っていたと言われています。その意味で、アフリカ大陸側のベルベル諸語の口笛言語は、研究対象として価値があると思われます。ゴメラ島でいつから口笛言語が行われていたのか、仮にグアンチェ族の時代から口笛言語があったとして、ベルベル諸語からスペイン語への言語交換に伴ってもなお口笛言語が行われ続けた経過などなかなか興味深いかなと思ったりします。

ちなみに、ジェラール・ピュシュー氏は、フランス人でオック諸語の母語話者だろうと推察されます。西語も話している動画もあります。アス村の口笛言語の団体 l’association Lo Siu-lar d’Aas(Les siffleurs d’Aas、アス口笛協会)の会長をつとた元教授(専門や所属は不明)で、モロッコのⴰⵙⵉⵏⴰⴳ ⴰⴳⵍⴷⴰⵏ ⵏ ⵜⵓⵙⵙⵏⴰ ⵜⴰⵎⴰⵣⵉⵖⵜ("Royal Institute of Amazigh Culture"、王立アマジグ文化研究所)から、"Notes sur la parole sifflée en usage dans le Haut-Atlas marocain. Premières observations"、Google翻訳に少し手を加えて「モロッコのハイアトラスで使用されている口笛言語に関するメモ。 最初の観察」という14頁の仏語文献を2015年に出されています。この文献の末尾で、今回の動画を紹介しています。再生回数がそんなに伸びていないところをみると、まぁまぁマニアックな話題なんでしょう。

アジアにおける口笛言語については、現状、Youtubeではみつけられません。確認できそうな映像は、wikipedia日本語版の記事で紹介したウルルン滞在記のベトナムのローロー族のものぐらいでしょうか。何方か詳しい方いらっしゃらないだろうか。bilibili動画でも漁ってみるかなぁ。

最後に気分転換に2016年のモロッコ旅行時にフェズで撮った写真でも載せておきます。

フェズの街角で出会ったニャンコ
بسلامه Bslama!(※4)


※1. ベルベル諸語に属する各言語の個別名称は表現ゆれもあって定着・慣用されるものが不明です。対象の言語での表現、そのアラビア語、仏語、英語、それぞれの表現ゆれが多岐に渡るに加えて、グループ分けの差異もあるためだと想像します。

※2. 動画中で、相槌、フィーラーとして"D'accord"(ダコー、「うん、うん、分かる」)と言っているのぐらいは分かる程度です。モロッコを2度旅行した事はあります。挨拶・謝意以外はほぼ英語で通しました。

※3. Aasなのでアアスあるいはアースと翻字した方がより正しいかも知れません。

※4. モロッコでよく使われるアラビア語モロッコ方言(ダリジャ)で「さよなら」として使える語。小生も旅行中は使っていた。カタカナだと「ブスラマ」や「ブッサラーマ」。タマジクト語でのさよならは発音のみは英語語版に発音記号で載っている ティフナグ文字での表現は不明。よそ者からみるにつけモロッコの言語事情はまぁまぁ混沌としている。wikipedia以外ではロンプラ旅の指さし会話帳や「No102:モロッコ旅行で使いたい!モロッコの言葉「ダリジャ」 モロッコ/マラケシュ特派員ブログ | 地球の歩き方」が参考になる。

2021年5月1日土曜日

【とあるベトナム人のお名前を巡る愚考の果て】

2019年のラマヌジャン賞の受賞者にファム・ホアン・ヒエップ(Phạm Hoàng Hiệp)というベトナムの数学者がいる。以下、この人の業績に触れる話ではなく、この人のお名前の表現を巡って考えたベトナムの人名に関する一種の戯言です。

昨晩、wikipediaに氏の名前を表現しようとした際、ベトナムの人名に関して、ときに家族名(family name)なのか、個人名(下のなまえ、given name)なのか判断に迷う要素がある点に気が付いたので忘備がてら、ちょっくら文章をしたためようと思う。個人的な理解ながら、ひょっとしたらいつか誰かの何かに役にたつも知れないというほんのり淡い期待のもと。

はじめに、家族名がよく分からなかった。少し調べてみると、氏のラマヌジャン賞の受賞を知らせるベトナムの代表的日刊全国紙ニャンザンのニュース記事がみつかった。

Giáo sư trẻ nhất Việt Nam giành giải thưởng toán học uy tín quốc tế - Báo Nhân Dân

この記事の次の2点が大事である。

●冒頭、上半身の画像の脇に英文の形で、"Dr. Hoàng Hiệp Phạm"という文字列がみられること。

なおかつ

●越語文の本文冒頭に、"GS Phạm Hoàng Hiệp"という文字列がみつかること。ここで"GS"は、Giáo sưの略で越語文で教授(あるいは教師)を意味し、人名に前置する敬称だとちょっと調べれば推測できる。

広く知られている通り、英文などの欧文の地の文での人名の表現のルールは、個人名+家族名の順が原則である。一方で、ベトナムや日本を含む漢字文化圏の人名の表現のルールは、家族名+個人名の順が原則である。

以上より、3つのまとまり(要素)からなるこの方の場合、英文で末尾にあり、越語文で冒頭にあるPhạm(ファム)は、少なくとも家族名に属する要素だと判断できる。ちなみにPhạmは、漢字のにあたり、という姓もリンク先の通り存在するので、ここで素直に考えると、Phạmが家族名になると思うのだ。そうした場合に、越語文でPhạm Hoàng Hiệpと末尾にくるHiệp(ヒエップあるいはヒェップ)は、個人名に属する要素だろうと先ずは素直に考える。ちなみにHiệpは、の字に対応するようだ。

さて、問題は、Hoàngである。漢字のに対応するようである。

ここで、ベトナムの人名に関するwikipedia日本語版の記述参照可能なサイトの情報をみると、典型的に3つの要素からなるベトナムの人名の場合、2番目に配列される要素は、間の名(Tên đệm)と呼ばれることが多く、そんなに種類はなく、Hoàngは、これにあてはまらないように思われる。

一方で、欧文で、いわゆるミドルネームは、家族名か個人名かの二択に制限された場面で、個人名扱いされる場合がある。これは、欧文の参考文献一覧の書式を見慣れていれば気づくことだが、日本のパスポートといった公文書で中間名を下のなまえといっしょくたに扱うのもこのルールの延長にあると思う(参照)。この線でいくと、冒頭のニュース記事の英文にあらわれたHoàng Hiệp Phạmという文字列が、Phạmが家族名で、残りのHoàng Hiệpは一括して個人名扱いとしていると理解される。この表現は、氏のラマヌジャン賞の発表リリースにもあらわれている。

つまるところ、越語文でPhạm Hoàng Hiệpと表現し、日本語文でファム・ホアン・ヒエップで表現する限り問題ないのだが、上記の英語を代表とする印欧語族系の欧文での、Hoàng Hiệp Phạmという表現は、Hoàngの認識次第だが、何だか奇妙な表現となっちゃってるんじゃないかと疑っているのです(※1.)。

やはりwikipediaなど先のサイトを読んで考え、さらに調べるつけ、中国式の複姓、あるいは2つの要素からなる家族名に、Phạm Hoàng(范黄?)もあてはまる可能性が高そうだ。例えば、ベトナムの植物学者に、同姓とおぼしきPhạm Hoàng Hộという方がいて、この人物をWikispeciesで紹介する英文の記事名は、Pham-Hoàng Hôと、PhạmとHoàngの間に結合の用法のハイフン"-"が入っている。同記事中にあげられた参考文献の人名の書式にもそれはあらわれ、当人がPhạmとHoàngを一連一括して使用していたことのあらわれと思われる。残念ながらこの方の人名の漢文での表現は見つけられなかった(※2.)。また、この人名中のハイフンの結合用例は、ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)といったフランスの個人名(prénom)の方にあらわれる複合名のアナロジーになっていると思う(参照)。

中国式の複姓の2つの要素をハイフンで繋ぐ例に、複姓の代表例、欧陽から欧陽菲菲の姪のチェリスト、欧陽娜娜(Nana Ou-Yang)や、香港の俳優、ボビー・アウヨン(Bobby Au-Yeung)が見つかる。

以上から、Phạm Hoàngが中国式複姓の一種だと考えて良さそうと思うのだがどうだろうか。小生にベトナム人の友達でもいれば一発解決かと思うが残念ながらそんな都合の良い友達などいない。

Phạm Hoàngが中国式複姓の一種だとすると、冒頭のニャザンのニュース記事でも、ラマヌジャン賞の発表リリースでも使われた英文中のHoàng Hiệp Phạmは、本来一連の姓の2要素をHiệpが分断していることなり、これは麗しくないと思う。Hiệp Phạm Hoàngあるいは、Hiệp Phạm-Hoàngという表現がより相応しいということになるまいか。

想うに、ファム・ホアン・ヒエップ(Phạm Hoàng Hiệp)あるいは彼を取り巻く人々は、Hoàng Hiệp Phạmという表現を妥協的に受け入れているのではないのだろうか。ひょっとしたら、筆頭著者となった論文などでもそうしているのかも知れない。複雑な文化的背景を等閑視して対欧米人用に説明が楽で伝わりやすい表現を消極的、妥協的、慣習的に受け入れ、文化を蔑ろされてもなお、それがニャザンの記事を通じてベトナムの読者の目に触れ、再生産されているベトナム人のナショナリズム的には苦々しい、そんな状況ではないんだろうか。単純に無頓着なだけかも知れませんが。なーんて勝手に思慮を巡らすのはやっぱり考え過ぎの一種の病気みたなものでしょうか。

最後に、Youtubeに転がっていたファム・ホアン・ヒエップのラマヌジャン賞の受賞式の動画でも貼っておきます。紹介側は、終始Hoàng Hiệp Phạmの表現ですが、58分位から始まる本人が用意したと思われるパワポ系資料は、冒頭、Phạm Hoàng Hiệpと記名されていることが確認できる。

ところで、小生は、ベトナム語ができる訳ではありません。ただ、言語や固有名詞学に多少の興味があるだけです。手元でネットをポチポチしてダラダラ考えたことです。本気で文献にあったり、シャカリキに調べたことではないので、思い違いしている可能性も十分ありますのでその辺り、ご容赦を。どっかにこの答をビシッと教えて頂ける方はいないかなぁ。

最後まで愚考にお付き合い頂きありがとうございました。気分転換に、手元のベトナム旅行時の写真でも貼っておきます。

Hẹn gặp lại.

2017年夏。ハノイの夜。本文とは無関係です。

※1. そもそも、Hoàngの部分が他の典型的な間の名(Tên đệm)だったとしても、欧文での順序はどうなるか疑問ではあるが→wikipediaベトナム語版のベトナムの人名の記事を自動翻訳でよむとその辺りの事情を書いている気配がする。Google翻訳優秀だなおい。

※2. ちなみにisniWorldCat Identitiesなどの国際的な目録サイトにはこの方のお名前の他の表現型も収録されている。


●本文中のリンク以外で参考にしたサイト

よくあるベトナム人の名前と読み方 - ベトナム語講座

ベトナム人の名前の言い方 付け方 覚え方

2021年4月29日木曜日

【セネガル、ダカール、サンダガ市場、あるいはムリッド信徒】

 すべての旅に終着点があるように、小生のこの旅の"終わり"はここに始まった。

(モーリタニアの首都ヌアクショットからセネガル国境の町ロッソへの道中。サハラの端くれで砂に足をとられる乗合タクシー。ここでiPhoneの純正充電ケーブルと今生のお別れ。)

ちょうど2年前のGWだ。さらに数年前のモロッコの旅の続き、マラケシュ~ダカールを走破してみようかと思い立った。そう、どこかで聞いたことのある成句だ。ひとりプチ・パリダカ。むろん、己で車を駆るのではない、現地のバスや乗合バスやらを乗り継いでマラケシュから、モロッコ南部を抜け西サハラへ、そしてモーリタニアを経てセネガルのダカールへ。

終着点はダカール。あのラリーと同じ。悪くないね、この響き。アフリカ大陸最西端にして、西アフリカ随一の都会(※1)。決して易しくない旅路の終点。日程的にも現地7日間でギリ。ふふふ。自己陶酔の行く末としてはまずまずではないか。そんな妄想にかられた刹那。

多くの人がセネガルに何をイメージするのか、わたしには分からない。んが、わたしには年来、セネガルに関して気に掛かっている件があった。ムリッド教団"Muridiyya"の話だ。2002年2月3日だからもう20年弱前になる。『越境するイスラム ~セネガル・マリ~』と題された番組をNHKで視聴した。番組内で教団の勢力が国家の規模に比して大きく国家内国家が疑われるほどだという。ホントだろうか?当時よく聴いていたユッスー・ンドゥールもゴリゴリの信徒だという話でパリで行われたライブの様子が映し出されたが、そうと知ってみてみると会場の熱気もまた違った味わいに。

ムリッド教団は、セネガル独自のイスラーム教団で、西アフリカにおけるイスラームの改革運動史の中に位置づけられスーフィズムにも系譜されうる信徒集団。19世紀後半以降の近代化の荒波の中でアーマド・バンバ(Amadou Bamba)という幾つかの奇蹟で知られた宗教カリスマのもと勃興してきた集団。勤勉を旨として国民の約3割が信徒とも(※2)。むりくり日本でいえば、政権に与する宗教政党公明党と大衆政党自民党が合体した組織を掌握する巨大信徒集団みたいな感じだろうか。

ということでダカールの短い短い滞在中に、ムリッド教団の空気に少しでも触れようと向かったのは、とある本にムリッド商人が中心になって商いが行われていると紹介されていたサンダガ市場だった。飛び交う言葉はウォロフ語(※3)。たぶん。

(サンダガ市場の一場面。いかにもそれらしい光景かな。)

まったく公開するつもりはなく、ひとりヨシヨシするためにコソッと撮ってみた短い動画です。少しは雰囲気は伝わるでしょうか。ひょっとしたら興味もって頂ける奇矯な人もいるかも知れないと思い駄文と合わせて紹介してみる次第です。

【※一部のスマフォ環境からは直上の動画
 https://www.youtube.com/watch?v=SW9LuDbGNkM が本文中に表示されていないようです。(2021/09/05 補注追記)】
いま動画をみてみると、最後の方で「ノン シノラ」とか聞き取れる言葉が入ってますね。空耳?それとも「ヤメレ。東洋人め。」みたいなことでしょうか。だとしたらすいません。

そんでもって結局、街角で買ったのは"J'apprends le Wolof"って表題のついた仏語によるウォロフ語の教科書一冊(※4)。仏語すらレベル1にも満たないのに。ミーはバカざんすかね。

(サンダガ市場の街角の本屋さん)

このあと乗ったタクで、ダッシュボードにアーマド・バンバの例の写真が飾ってあったので、率直に運ちゃんに"Are you Mourider?"「あんさんムリッド信徒?」と聞いてみた。"Sure"と即答。「もちろんですゼ。旦那。」てな感じでしょうか。やはり勤勉を旨とし自分たちがこの国の経済を支えているんだという自負の顕れでしょうね。その自信に満ちた返答が全てを物語っているようで印象的でした。

(アーマド・バンバの例の写真。1923年よりは前に撮影されたらしい。眼がハッキリ写っていないのに眼力が半端ない。バンバの唯一の写真とも。
en:Image:AhmaduBamba.jpg, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

正直、ムリッド教団の何たるや、国家内国家の実態もよく分からない訳で。さしあたってwikipediaの記事、翻訳でもしてみるかなぁ。でも小生の手に余るなぁと思ってみたり。

またセネガルに行くことがあったら、教団の本拠地トゥーバ(Touba)でもいってみますかね。

(ダカールの名物ともされる乗合バス、カーラピッド。フロントにALHAMDOULILAH(イスラームの唱句)、上面にTOUBAの文字。)

Ba suba ak jam!

※1. 地下鉄の計画もあるらしい!と耳にしていたが"Train express régional Dakar-AIBD"のことだろうか?

※2. 小川了『セネガルとカーボベルデを知るための60章』明石書店(2010年)も参考にしています。

※3. ウォロフ語は、ウォロフ族の母語にしてセネガルの主要言語。ムリッド教団の布教の言語で都市部では仏語を除けば事実上の共通語。従ってセネガルで商売をするうえでは欠かせないということでしょう。上の本の25章の砂野幸稔の記述も参考にしています。

※4. CDもついていないボロボロの中古本。数千フラン(CFA)で1000円以下だったのかな。


【追補】(2021/4/30)

いま、振り返って小さな文章にしたためて感じるに、ムリッド教団とは、宗教のもつ様々な側面の中で肯定的な一面が上手く機能した例とみなしても良さそうだと。元来、宗教に斜めから、どちらかといえば否定的な側面に興味を抱いていた底意地の悪い小生ですら、ホントに短い時間でありながら前向きな彼らの姿に触れそう感じたのだなと。2年もしてから小さな結論めいた、"いわゆるひとつのなんか"を得たと。

ポスコロの視座、さらにもうひとつのポスコロ(ポストコロナ)について、愚考を巡らすには少々余白が足りないようです。